2009年5月三位稲荷神社 [川越観光]
2009年5月撮影。喜多院、三位稲荷神社。
たぶんこれ。
”たぶん”な上に影だけなのは、入れないエリアにあるから。
地図にも、載っているものとないものがある。
「川越市文化財案内マップ」にはあるので、これを頼りに喜多院外側から探してみた。
埼玉病院裏手あたりで、それっぽいシルエット発見。
網目にデジカメのレンズ部分を突っ込んで撮影。
場所は病院裏で駐車場、しかも中は喜多院。フェンスによじ登るのは絶対不可。
右側に柱のようなものが見える。
1枚目の写真に写っている左側にはない。柱のように見えるのは手前の木。
柱のある方が正面だとすると、社殿は写真の右方向、南に向いて建っていることになる。
三位稲荷は喜多院の七不思議のひとつ。
三位(さんみ)とは味噌すりの小坊主の名前。
彼はある日、師匠が神通力で天狗となり空を飛ぶ様子を目撃。
その弟子の自分なら飛べるだろうと思った三位、庭の杉によじ登り、ジャンプ!
結果、根元に落下、昇天。
その場所に建てられた祠が三位稲荷。
喜多院公式サイトに掲載されている話もこれ。
この師匠とは実海僧正だと伝えられていることが多い。
資料1によると「甲子夜話」では、時代は永禄の頃とあり師匠の名は明らかにされていない。喜多院代々住職の墓の中に、この住職のものだけはないとある。
この伝説には別パターンがある。
天海僧正(一説には実海僧正)が住職の頃、3人の子供が弟子になりたいとやってきた。
ある日、弟子となった子供達のうちひとりが庭掃除、ふたりが味噌をすっていた時、上空がら師匠が3人を呼ぶ声がした。
3人はそれぞれの仕事道具を持ったまま、空を行く師を追う。しかし追いつけず、見失ってしまった。
そこへ師匠帰還。3人からこの話を聞き、自分も目撃できなかったのを残念がる。
事件後、3人行方不明に。
さらにその後。
それぞれスリコギ、すり鉢、ホウキを手に死んでいる3匹の狐が、喜多院の池の中で発見される。
稲荷がこの狐達を子供の姿に変えて自分も元に遣わされたのだ、と僧正は考え、祠を建て手厚く供養したという。
どちらの話も、だから喜多院ではスリコギとすり鉢、ホウキを離して置かないと災いが起こるとされている、と締めくくられる。
資料1と2に、三位稲荷の白黒写真が掲載されている。
転載できないため、参考画像。
左:菓子屋横丁近くにある六塚稲荷神社の本殿。
小さいが全体の感じ、特に屋根が資料2の写真に似ている。
右:三位稲荷社殿と人との対比図。資料1の写真を簡単にトレースしたもの。
資料2によると三位稲荷神社の場所は、喜多院書院の築山の上。
川越市文化財案内マップでの位置。
Googleマップの航空写真からも、それらしいものを確認することができる。
そして資料2写真の屋根の形。
これらからすると撮影した建物の影は、三位稲荷のもので間違いないだろうとは思う。
でも結局全部推測、間違ってたらスミマセン。
もしもイベント等で参詣のチャンスがやってきたら、絶対参加したい。
だけどそういうのは聞いたことないんで、望みは薄いか。
資料。
「川越市文化財案内マップ」
発行:川越市教育委員会
資料1。絶版。3冊組。
三位稲荷の伝説が掲載されているのは下巻の信仰編。
資料2。絶版。良書。
たぶんこれ。
”たぶん”な上に影だけなのは、入れないエリアにあるから。
地図にも、載っているものとないものがある。
「川越市文化財案内マップ」にはあるので、これを頼りに喜多院外側から探してみた。
埼玉病院裏手あたりで、それっぽいシルエット発見。
網目にデジカメのレンズ部分を突っ込んで撮影。
場所は病院裏で駐車場、しかも中は喜多院。フェンスによじ登るのは絶対不可。
右側に柱のようなものが見える。
1枚目の写真に写っている左側にはない。柱のように見えるのは手前の木。
柱のある方が正面だとすると、社殿は写真の右方向、南に向いて建っていることになる。
三位稲荷は喜多院の七不思議のひとつ。
三位(さんみ)とは味噌すりの小坊主の名前。
彼はある日、師匠が神通力で天狗となり空を飛ぶ様子を目撃。
その弟子の自分なら飛べるだろうと思った三位、庭の杉によじ登り、ジャンプ!
結果、根元に落下、昇天。
その場所に建てられた祠が三位稲荷。
喜多院公式サイトに掲載されている話もこれ。
この師匠とは実海僧正だと伝えられていることが多い。
資料1によると「甲子夜話」では、時代は永禄の頃とあり師匠の名は明らかにされていない。喜多院代々住職の墓の中に、この住職のものだけはないとある。
この伝説には別パターンがある。
天海僧正(一説には実海僧正)が住職の頃、3人の子供が弟子になりたいとやってきた。
ある日、弟子となった子供達のうちひとりが庭掃除、ふたりが味噌をすっていた時、上空がら師匠が3人を呼ぶ声がした。
3人はそれぞれの仕事道具を持ったまま、空を行く師を追う。しかし追いつけず、見失ってしまった。
そこへ師匠帰還。3人からこの話を聞き、自分も目撃できなかったのを残念がる。
事件後、3人行方不明に。
さらにその後。
それぞれスリコギ、すり鉢、ホウキを手に死んでいる3匹の狐が、喜多院の池の中で発見される。
稲荷がこの狐達を子供の姿に変えて自分も元に遣わされたのだ、と僧正は考え、祠を建て手厚く供養したという。
どちらの話も、だから喜多院ではスリコギとすり鉢、ホウキを離して置かないと災いが起こるとされている、と締めくくられる。
資料1と2に、三位稲荷の白黒写真が掲載されている。
転載できないため、参考画像。
左:菓子屋横丁近くにある六塚稲荷神社の本殿。
小さいが全体の感じ、特に屋根が資料2の写真に似ている。
右:三位稲荷社殿と人との対比図。資料1の写真を簡単にトレースしたもの。
資料2によると三位稲荷神社の場所は、喜多院書院の築山の上。
川越市文化財案内マップでの位置。
Googleマップの航空写真からも、それらしいものを確認することができる。
そして資料2写真の屋根の形。
これらからすると撮影した建物の影は、三位稲荷のもので間違いないだろうとは思う。
でも結局全部推測、間違ってたらスミマセン。
もしもイベント等で参詣のチャンスがやってきたら、絶対参加したい。
だけどそういうのは聞いたことないんで、望みは薄いか。
資料。
「川越市文化財案内マップ」
発行:川越市教育委員会
資料1。絶版。3冊組。
三位稲荷の伝説が掲載されているのは下巻の信仰編。
資料2。絶版。良書。