SSブログ

2009年4月雪塚稲荷神社 [川越観光]

2009年5月撮影。川越市幸町、雪塚稲荷神社。
2009年4月雪塚稲荷.jpg
長喜院同様、明治26年の川越大火にて全焼。
明治30年(1897年)に再建されたものが、今ある雪塚稲荷神社。

拝殿。
2009年4月雪塚稲荷拝殿.jpg
再建と言っても、すでに築112年。

本殿。
2009年5月雪塚稲荷本殿.jpg
本殿前に、小さなお稲荷さん。

境内にある三峰神社。
2009年4月雪塚稲荷内三峰神社.jpg
雪塚稲荷の鳥居をくぐって突き当たり。
後の建物は、長喜院の本堂。

神社前の石碑。
2009年5月雪塚稲荷略縁起.jpg

雪塚稲荷神社の、創建に関する伝説。

江戸時代のこと。
ある大雪の夜、南町(現在の幸町)の大通りを歩く白い狐。
それを見た若者達、狐を面白半分に撲殺。

これ以降南町では連続不審火、火事連発。
巫女を呼んで祈祷してもらうと、殺された狐が祟っているとのこと。

そこで長喜院の境内に祠を建て、狐の骨と皮を埋め供養したところ、怪異はピタリと収まったという。

今は長喜院の山門に向かって右隣に、雪塚稲荷の鳥居がある。


雪塚稲荷略縁起には、さらにこうある。
川越大火で焼失した神社を再建した際、土中の御神体を改めてみたら、なんと白狐の毛が逆立った。
御神体、再び埋め戻される。

そして昭和55年。社殿の修理が行われた際、床下から石版発見。
「雪塚稲荷神社遺躰 文政六年二月十二日御霊昇天 同年三月十二日御霊祭日と定め年同日雪塚稲荷神社と称す」

文政6年は1823年頃。何かの慰霊のために建てた神社。
南町の大通りとは、蔵の立ち並ぶあの大通り。
歩く白狐。200年近く前の、雪の夜。

明治時代に埋め戻されたという白狐の皮、今も地中に実在するのだろうか?

ま、触らぬ神になんとやら。
無礼無体を働かなければ、霊験あらたかな神様でいてくれるしね。
nice!(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

nice! 2

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。