2009年4月喜多院どろぼう橋 [川越観光]
2009年4月撮影。喜多院、どろぼう橋。
喜多院西側に残る空堀。そこに架かる橋が、どろぼう橋。
橋は喜多院本堂南の道と、西小仙波町の住宅街を結ぶ。
川越駅本川越駅から、徒歩で喜多院に詣でる場合の近道でもある。
ちと判りにくいので、初めて来る人には勧めないが。
どろぼう橋由来。
役人に追われた泥棒が渡った橋なので、どろぼう橋という。
喜多院は川越藩町奉行の管轄外、中へ入られてしまったらもう手が出せない。
泥棒はそのことを知っているので、喜多院に逃げ込む。
そしてこの橋に関する話はどれも、泥棒は寺僧に諭され改心したというオチがつく。
住宅街側から。
橋手前、左側は喜多院公園の柵。
当時この橋は丸木の一本橋。
それを渡って泥棒は喜多院内へ。
今はコンクリート橋。昭和47年竣工。
今のものに架け替えられる前は、木の橋だったそうだ。
しかし盗みを働いた上、役人が手を出せないのを承知の上で喜多院に逃げ込むような犯罪者、お坊様に諭されたくらいで改心するか?
もしかして更生せざるを得ないほどの、辛く厳しい修行の日々とか…。
喜多院西側に残る空堀。そこに架かる橋が、どろぼう橋。
橋は喜多院本堂南の道と、西小仙波町の住宅街を結ぶ。
川越駅本川越駅から、徒歩で喜多院に詣でる場合の近道でもある。
ちと判りにくいので、初めて来る人には勧めないが。
どろぼう橋由来。
役人に追われた泥棒が渡った橋なので、どろぼう橋という。
喜多院は川越藩町奉行の管轄外、中へ入られてしまったらもう手が出せない。
泥棒はそのことを知っているので、喜多院に逃げ込む。
そしてこの橋に関する話はどれも、泥棒は寺僧に諭され改心したというオチがつく。
住宅街側から。
橋手前、左側は喜多院公園の柵。
当時この橋は丸木の一本橋。
それを渡って泥棒は喜多院内へ。
今はコンクリート橋。昭和47年竣工。
今のものに架け替えられる前は、木の橋だったそうだ。
しかし盗みを働いた上、役人が手を出せないのを承知の上で喜多院に逃げ込むような犯罪者、お坊様に諭されたくらいで改心するか?
もしかして更生せざるを得ないほどの、辛く厳しい修行の日々とか…。