2007年4月東京競馬場2 [競馬場]
2007年4月22日撮影。東京競馬場。
2006年秋から使用開始の超大型ターフビジョン。その幅66.4m。
2007年第2回東京2日目のメインレースはオークストライアル、フローラステークス。優勝馬は”美しい大地の女神”ベッラレイア。
しかしこの日は、もうひとつメインレースがあった。
第1回ジョッキーマスターズ。
フジビュースタンド、グランドオープンイベントの目玉。
パドックに並ぶジョッキーマスターたち。
第1回に出場した元騎手は全てダービージョッキー、オークスジョッキー。
ズームアップ。
1白:河内洋調教師、2黒:中野栄治調教師、3赤:安田隆行調教師、4青:加藤和宏調教師、5黄:岡部幸雄氏、6緑:松永幹夫調教師、7橙:的場均調教師、8桃(左):根本康広調教師、9桃(右):本田優調教師。
スーツの3人は、左:郷原洋行調教師、右:保田隆芳元調教師、後:柴田政人調教師。
右の後にいるのは司会の鈴木淑子さん。
出場元騎手の大半、その現役時代をまだ憶えている。
二度と見られないと思っていた勝負服姿。設備は新しいのに、時間が戻ったような東京競馬場。
できればマサトの勝負服姿も見たかったな。もちろんウイニングチケットの。
騎乗してパドックを周回。
先頭誘導馬に騎乗しているのは、細江純子元騎手。
後の手前は後藤浩輝騎手、奥が2009年ダービージョッキー横山典弘騎手。
東京競馬場ゴール板。
競馬に関係する全ての人々の眼が、ここに集まる。
2009年のダービーは、皐月賞1番人気馬、2番人気馬のワンツー。
その一方、皐月賞ワンツーの2頭は惨敗。
不思議な結果。
皐月賞では惨敗した2頭、切らなくて良かった~。
押さえ程度のワイドだったが、ちょっぴり儲かった。
2006年秋から使用開始の超大型ターフビジョン。その幅66.4m。
2007年第2回東京2日目のメインレースはオークストライアル、フローラステークス。優勝馬は”美しい大地の女神”ベッラレイア。
しかしこの日は、もうひとつメインレースがあった。
第1回ジョッキーマスターズ。
フジビュースタンド、グランドオープンイベントの目玉。
パドックに並ぶジョッキーマスターたち。
第1回に出場した元騎手は全てダービージョッキー、オークスジョッキー。
ズームアップ。
1白:河内洋調教師、2黒:中野栄治調教師、3赤:安田隆行調教師、4青:加藤和宏調教師、5黄:岡部幸雄氏、6緑:松永幹夫調教師、7橙:的場均調教師、8桃(左):根本康広調教師、9桃(右):本田優調教師。
スーツの3人は、左:郷原洋行調教師、右:保田隆芳元調教師、後:柴田政人調教師。
右の後にいるのは司会の鈴木淑子さん。
出場元騎手の大半、その現役時代をまだ憶えている。
二度と見られないと思っていた勝負服姿。設備は新しいのに、時間が戻ったような東京競馬場。
できればマサトの勝負服姿も見たかったな。もちろんウイニングチケットの。
騎乗してパドックを周回。
先頭誘導馬に騎乗しているのは、細江純子元騎手。
後の手前は後藤浩輝騎手、奥が2009年ダービージョッキー横山典弘騎手。
東京競馬場ゴール板。
競馬に関係する全ての人々の眼が、ここに集まる。
2009年のダービーは、皐月賞1番人気馬、2番人気馬のワンツー。
その一方、皐月賞ワンツーの2頭は惨敗。
不思議な結果。
皐月賞では惨敗した2頭、切らなくて良かった~。
押さえ程度のワイドだったが、ちょっぴり儲かった。
2007年4月東京競馬場1 [競馬場]
2007年4月22日撮影。東京競馬場。
全面完成したばかりのフジビュースタンド。
2007年の2回と3回東京開催は、グランドオープン記念のレースやらグッズやらゲストやらでお祭り状態。
豪華ゲスト、ローズガーデンのホースリンクにお出まし。
第60回日本ダービーの優勝馬、ウイニングチケット。
トニービンの初年度産駒で、1993年クラシック3冠を分け合った3強のうちの1頭。
馬房の近くばかりにいるウイニングチケット。
帰りたいのか。一緒に来たもう1頭の馬の近くにいたいのか。
もう1頭の豪華ゲスト、レガシーワールド。
タイミングが悪く、馬房の外にいる姿は見られなかった。残念。
現役時代、いつもパドックで暴れていたレガシーワールド。第13回ジャパンカップ優勝馬。
1993年のJCは、コタシャーン鞍上デサーモ騎手によるゴール板誤認事件で有名なレース。
初めて当てた馬券は、ウイニングチケットのダービー。
初めて買ったレースはもう憶えていないが、この年の桜花賞か皐月賞のトライアルレース。
初めてのG1レースはベガの桜花賞。白いリボンが可愛いユキノビジンが本命だった。
秋のJC、買ったのはホワイトマズル流しの馬連。
マズル本命にした理由は、今でも憶えている。
競馬を始めてから数年間、いちばん夢中になっていた時期。
その頃のことは、近年のレースよりもよく思い出せる。
当時の風景と一緒に。
全面完成したばかりのフジビュースタンド。
2007年の2回と3回東京開催は、グランドオープン記念のレースやらグッズやらゲストやらでお祭り状態。
豪華ゲスト、ローズガーデンのホースリンクにお出まし。
第60回日本ダービーの優勝馬、ウイニングチケット。
トニービンの初年度産駒で、1993年クラシック3冠を分け合った3強のうちの1頭。
馬房の近くばかりにいるウイニングチケット。
帰りたいのか。一緒に来たもう1頭の馬の近くにいたいのか。
もう1頭の豪華ゲスト、レガシーワールド。
タイミングが悪く、馬房の外にいる姿は見られなかった。残念。
現役時代、いつもパドックで暴れていたレガシーワールド。第13回ジャパンカップ優勝馬。
1993年のJCは、コタシャーン鞍上デサーモ騎手によるゴール板誤認事件で有名なレース。
初めて当てた馬券は、ウイニングチケットのダービー。
初めて買ったレースはもう憶えていないが、この年の桜花賞か皐月賞のトライアルレース。
初めてのG1レースはベガの桜花賞。白いリボンが可愛いユキノビジンが本命だった。
秋のJC、買ったのはホワイトマズル流しの馬連。
マズル本命にした理由は、今でも憶えている。
競馬を始めてから数年間、いちばん夢中になっていた時期。
その頃のことは、近年のレースよりもよく思い出せる。
当時の風景と一緒に。
タグ:東京競馬場
2001年5月東京競馬場2 [競馬場]
2001年5月撮影。東京競馬場。
この頃の1期工事現場。
工事現場仮囲いに貼られた完成イメージ図。
現在の超大型ターフビジョンは2006年8月設置。
イメージ図作成時点では、予定になかったとか?
新スタンドの完成イメージ図。
新スタンドのグランドオープンは2007年4月21日。
改築工事はほぼ予定通り終了。
ゆうきまさみ「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」の最終話に、東京競馬場新スタンドが登場している。
最終巻発売は2000年末だから、スタンド西側3分の1が取り壊された頃。
発売日に買ったコミックスだが、これに気づいたのはグランドオープンしてからだった。7年も後だ。
仮囲いに貼られた日本ダービー馬の写真。
前年12月撮影の写真にはなかったもの。
1番右に写っているのは1995年第62回日本ダービー馬、サンデーサイレンス初年度産駒タヤスツヨシ。
左は文字が潰れて読めないが、おそらくその翌年のダービー馬、フサイチコンコルド。
コンコルドのダービーは指定席で観た。
全指定席がハガキ抽選。出せるのは1人1枚。複数応募は無効。今のようにペア席での応募枠はない。
それなのにこの年は奇跡が起こり、ツレと私それぞれ当たった。
その次にダービーを指定席で観戦したのは2005年、ディープインパクトの年。9年も後。
?マーク。
カメラからPCに取り込んだ日時しか残されていない写真だが、おそらく2001年5月6日。クロフネの第6回NHKマイルカップ当日。
だとすると、この?部分は約3週間後にひとつ減り、ジャングルポケットの姿が飾られることになる。
写真は残っているのに、この年のマイルカップもダービーもあんまり記憶にない。
競馬場に行ったにもかかわらずろくに憶えてないレースって、たいがい馬券は…。
この頃の1期工事現場。
工事現場仮囲いに貼られた完成イメージ図。
現在の超大型ターフビジョンは2006年8月設置。
イメージ図作成時点では、予定になかったとか?
新スタンドの完成イメージ図。
新スタンドのグランドオープンは2007年4月21日。
改築工事はほぼ予定通り終了。
ゆうきまさみ「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」の最終話に、東京競馬場新スタンドが登場している。
最終巻発売は2000年末だから、スタンド西側3分の1が取り壊された頃。
発売日に買ったコミックスだが、これに気づいたのはグランドオープンしてからだった。7年も後だ。
仮囲いに貼られた日本ダービー馬の写真。
前年12月撮影の写真にはなかったもの。
1番右に写っているのは1995年第62回日本ダービー馬、サンデーサイレンス初年度産駒タヤスツヨシ。
左は文字が潰れて読めないが、おそらくその翌年のダービー馬、フサイチコンコルド。
コンコルドのダービーは指定席で観た。
全指定席がハガキ抽選。出せるのは1人1枚。複数応募は無効。今のようにペア席での応募枠はない。
それなのにこの年は奇跡が起こり、ツレと私それぞれ当たった。
その次にダービーを指定席で観戦したのは2005年、ディープインパクトの年。9年も後。
?マーク。
カメラからPCに取り込んだ日時しか残されていない写真だが、おそらく2001年5月6日。クロフネの第6回NHKマイルカップ当日。
だとすると、この?部分は約3週間後にひとつ減り、ジャングルポケットの姿が飾られることになる。
写真は残っているのに、この年のマイルカップもダービーもあんまり記憶にない。
競馬場に行ったにもかかわらずろくに憶えてないレースって、たいがい馬券は…。
タグ:東京競馬場
2000年12月東京競馬場11 [競馬場]
2000年12月撮影。東京競馬場。
メインスタンド正門側1Fへと続くスロープを、陸橋から撮影。
スロープの端の植込み前は、ベンチになっている。
旧陸橋。
メインスタンド2Fから撮影。陸橋横の建物は案内所だったような。
オークススクエア。
今は改装され、ローズガーデンとなっている。
2000年までは、かなり頻繁に東京競馬場に来ていた。
この頃は南武線沿線に住んでいて、都内のウインズへ行くよりも交通費が安く済んだからだ。
当時は指定席も取りやすかった。
今のように抽選発売が主ではなく、ダービーと有馬記念以外は先着順だったから。
G1の日は始発で出発。午前5時過ぎに府中本町駅到着。
並ぶのはいつもD指定席の窓口。
今はもうない東京競馬場D指定席は、旧メインスタンドの一番西側。現在のC指定席あたり。
席順はおおむね先着順で東側から。
旧D指定席の東端は、旧A指定席の1番西側。仕切りの柵を挟んですぐ隣。
でも今はもう、この手は使えない。
JRAカード開始。指定席が抽選発売に。
スタンド改築工事開始。席数の激減。
そして2001年になってすぐ、我が家が引越。
ウインズが近くなったはいいが、競馬場からは足が遠のいてしまった。
メインスタンド正門側1Fへと続くスロープを、陸橋から撮影。
スロープの端の植込み前は、ベンチになっている。
旧陸橋。
メインスタンド2Fから撮影。陸橋横の建物は案内所だったような。
オークススクエア。
今は改装され、ローズガーデンとなっている。
2000年までは、かなり頻繁に東京競馬場に来ていた。
この頃は南武線沿線に住んでいて、都内のウインズへ行くよりも交通費が安く済んだからだ。
当時は指定席も取りやすかった。
今のように抽選発売が主ではなく、ダービーと有馬記念以外は先着順だったから。
G1の日は始発で出発。午前5時過ぎに府中本町駅到着。
並ぶのはいつもD指定席の窓口。
今はもうない東京競馬場D指定席は、旧メインスタンドの一番西側。現在のC指定席あたり。
席順はおおむね先着順で東側から。
旧D指定席の東端は、旧A指定席の1番西側。仕切りの柵を挟んですぐ隣。
でも今はもう、この手は使えない。
JRAカード開始。指定席が抽選発売に。
スタンド改築工事開始。席数の激減。
そして2001年になってすぐ、我が家が引越。
ウインズが近くなったはいいが、競馬場からは足が遠のいてしまった。
タグ:東京競馬場
2000年12月東京競馬場10 [競馬場]
2000年12月撮影。東京競馬場。
メモリアルスタンド前から撮影した、旧メインスタンド。
メモリアルスタンド東側から。
メモリアルスタンドとダービースクエアを結ぶ通路には、ベンチがずらりと並ぶ。
今もあるここは、なかなかの観戦スポット。勝負どころが目の前、スタンドもすぐ近く。
ただ難点がひとつ。晴れた日は、サンサンサンと陽が当たりまくり、照り返しもきつい。帽子と飲み物は必須。
メインスタンドとの連絡通路。
どこにシートを敷いて陣取りをしても、あんまりうるさく言われなかった時代、ここの2F部分は結構穴場な観戦スポットだった。
そのうるさくなかった時代でも、メインレースが始まる前までにはある程度撤収しておくのがマナーだったが。
メインスタンドとメモリアルスタンド。
メモリアルスタンド前のベンチは確保し易い上に、馬券売り場もトイレも近くなので便利だった。
当時メモリアル60と呼んだこのスタンドの前で、いくつものレースを観た。
1番印象に残っているのは1995年のオークス。優勝馬はダンスパートナー。
はっきりと憶えているシーンは、笠松競馬所属(当時)の安藤勝己騎手を背に、大欅横を先頭で駆け抜けるライデンリーダーの姿。
これが私の記憶の中の、第56回オークス。
ダンパのゴールシーンは憶えていない。
でもそれは仕方がない。観戦位置からのゴールは長い直線の向こう、はるか彼方だったんだから。
メモリアルスタンド前から撮影した、旧メインスタンド。
メモリアルスタンド東側から。
メモリアルスタンドとダービースクエアを結ぶ通路には、ベンチがずらりと並ぶ。
今もあるここは、なかなかの観戦スポット。勝負どころが目の前、スタンドもすぐ近く。
ただ難点がひとつ。晴れた日は、サンサンサンと陽が当たりまくり、照り返しもきつい。帽子と飲み物は必須。
メインスタンドとの連絡通路。
どこにシートを敷いて陣取りをしても、あんまりうるさく言われなかった時代、ここの2F部分は結構穴場な観戦スポットだった。
そのうるさくなかった時代でも、メインレースが始まる前までにはある程度撤収しておくのがマナーだったが。
メインスタンドとメモリアルスタンド。
メモリアルスタンド前のベンチは確保し易い上に、馬券売り場もトイレも近くなので便利だった。
当時メモリアル60と呼んだこのスタンドの前で、いくつものレースを観た。
1番印象に残っているのは1995年のオークス。優勝馬はダンスパートナー。
はっきりと憶えているシーンは、笠松競馬所属(当時)の安藤勝己騎手を背に、大欅横を先頭で駆け抜けるライデンリーダーの姿。
これが私の記憶の中の、第56回オークス。
ダンパのゴールシーンは憶えていない。
でもそれは仕方がない。観戦位置からのゴールは長い直線の向こう、はるか彼方だったんだから。